映画「64」←ネタバレ

昭和64年。昭和天皇が年の始に崩御されたため、昭和64年はたった7日間しかありません。昭和生まれの私にとってはあたりまえの出来事ですが、平成生まれにはあまりピンときてなかったようです。昭和が64年まであるということに。同じ理由で、昭和元年は25日から7日間しかなかったりもしています(大正天皇はクリスマスに崩御されてるんで)
大正天皇は崩御した日に元号が施行されていますが、昭和天皇のときは翌日からの施行になってます。平成という元号は、日本でハジメテ政府が主導してつけた元号でした(それまでは天皇主導) 昭和の時代がずっと続くわけでもないのに、保険証券や明細などには昭和80年とかすごい数字が書かれていたりもしたなぁ。←親の証券ですが。以来、そういった証券は西暦で書かれるようになってます…よね…? 
と、話がそれちゃったけど、
「64」は、昭和64年のたった7日間に魂を縫い止められてしまったまま、ただ犯人を捕まえることだけに人生を費やした男たちの物語。実在の未解決事件をモデルにした話でもあります。いくつかの児童誘拐殺人事件からヒントを得た描写もあります。

大きな事件だったにも関わらず、昭和天皇崩御が重なったため、ほとんど報道されなかった事件として描かれていました。世間の注目をあびなかった。犯人がのうのうと生きているというのに、この事件があったことすら認知されていない。映画では、平成14年、64事件の時効間際というところからはじまり、昭和64年1月に遡って少女誘拐事件の事の顛末が描かれています。
前編は過去の事件。後編は現在の事件。になっていました。後編がメインです。

まず、この当時、殺人の時効は15年でした。
これは証拠や目撃者などが風化して事件を解決できるギリギリのラインとされてきましたけど、逃げのびれば罪がなくなるという法律を遺族たちが不当だとして訴え続けた結果、いまは殺人に時効はありません。平成15年は殺人の時効が15年でした。時効が成立してしまった未解決事件の遺族たちの声をひろって平成16年(2004年)には15年から25年になりました。これが時効なしになったのは平成22年(2010年)です。このときも未解決事件の時効が近いという焦燥感のなかで成立しました。
殺人の時効なしは、平成22年のときに時効を迎えていない殺人、強盗殺人事件すべてに適用されました。事件をおこした年数ではなく、このときに時効を迎えてなかった事件すべてに適用されたことが大きかったです。
結構、最近ですね。
人を殺しても15年逃げきれれば罪がチャラになるという逃げ得があるために警察は限りある時間との戦いを強いられていました。それによって無理な調書や自白を強要するようなことにもなっていたかもしんないですけども。

以下、ネタばらししてます。配慮してません。これから観ようかなぁとか原作読もうかなぁとか思ってる人は読まないでくださいね。おそらくこのお話はネタがわかっちゃうと半分くらい損した気持ちになると思います。


昭和64年。翔子ちゃん誘拐事件発生。
犯人からの電話がきたときに、録音技師の不手際で録音することができなかった。犯人の声を録音できていればそれを世間に公表して犯人逮捕につながる可能性もあった(実在の事件で肉声のおかげで犯人が見つかった事例もあった) 警察側はその不祥事を組織がらみで隠蔽し、県警の刑事部長が代替わりするたびに懸案事項として受け継いできた。
そのとき録音を担当していた技師は、おまえのせいでショウコちゃんは殺されたんだ。みんなおまえのせいだと詰られ、ひきこもりになってしまいます(映画では窪田くんが演じてました) その様子を身近で見ていた幸田刑事(吉岡秀隆さんが演じてました)は、警察が何を隠蔽したのかをつぶさに記録しメモとして残していて、それを歴代の刑事部長が引き継いでいたというのが物語の骨格。

そこに報道記者たちが絡み、広報と刑事部の橋渡し的な立ち位置にいる広報官の苦悩が浮かびあがります。映画「64」の主人公は、この三上です(佐藤浩市が演じてました)
三上は三上で娘が家出していて消息不明です。娘がいなくなってはじめて、理不尽に娘を奪われた被害者の親に想いが向かいます。こどもを失うということがどういうことかわからないのか!という叫びは自身の叫びでもありました。ただ映画では、どうして娘がああなってしまったのかさっぱりわかりませんでした。心の病のように描かれていたけど、母親が美人(原作設定。夏川結衣さんが演じてました。ドラマ版では木村佳乃さんでした)だったので小さいころから母親と比べられてきたのかもしれない…?
お母さんに似ればよかったのに、とか。お父さんに似ちゃって残念だったわね、とか。
この顔が嫌いなの! あんたにそっくりなのが嫌なの! 整形したいの!とか娘にいわれちゃったらおとーさん泣いちゃうよね。三上さんは娘を殴ってましたけど(いや、殴りかかろうとして奥さんがとめたんだっけか) あゆみちゃんは顔を髪で隠していたので、どんな顔だかわかりませんでした。この顔が嫌いの前提には「お父さんが嫌い」というのがあったんだろう。刑事の目が嫌いだともいってたかな。広報官になってるけど、刑事だった自分を捨てきることはできてない三上は、事あるごとに捜査に関わろうとします。
広報官として自覚をもつようになったのは途中から。

ドラマ版ではピエール瀧さんが三上だったので、娘から「あんたにそっくりな顔がいやだ」といわれても「ああ…」とか思えちゃうけど(失敬ですみませんが…!) 佐藤浩市じゃなぁ…。だからよけいに病気っぽさがあったけども。

64(ロクヨン)の模倣犯か64の犯人なのか、64とそっくり同じ誘拐事件が発生したとき、64の事件も動きだしたことを肌で感じたぽい三上は、報道協定を結んだ記者たちに責められながらも、捜査状況を知るために、捜査車両に乗りこみます。ここに地方の警察と中央の警察、地方の記者と中央の記者という構図も絡んでました。東洋新聞のキャップの秋川(映画では瑛太が演じてました)は若いけど記者クラブのボス的存在で、広報官の三上にくってかかっていたのに、中央の記者のまえだと群馬県警のことをちょっと守ってやりたくなってるようでした(なんとなく)
事件の舞台は、群馬県です。原作とドラマ版では「D県」になってますけど、映画では群馬だということがわかります。実在の事件が群馬で発生した事件だったからでしょうか。←戦後唯一の誘拐未解決事件「功明ちゃん誘拐殺人事件」です。

昭和64年、翔子ちゃんを助けるために奔走した父親(雨宮)は、細かな指示を電話でしてくる犯人の声を何度も何度も聴いています。何年たとうとも色あせない。音声が残っていなくても、この記憶があるかぎり犯人の声を聴けば自分には絶対にわかる筈だと信念を燃やしながら、雨宮は公衆電話から電話をかけ続けていました。当時は電話帳に住民の個人情報のってましたからね。名前と住所と電話番号がすべて。でも、これを「あ行」からかけ続けるというのは、えらいことです。が、雨宮のように「あ行」の犯人ならこんなにも時間はかからなかっていない。やっと見つけた「声」 それを雨宮から聞いた幸田(刑事はやめている)が、昭和64年の犯人を表舞台にあげることを思いつきます。犯人の娘を誘拐して、当時の事件を再現すること、です。
強引ですが、犯人を引きずりだすために。
三上がそれを知るのは、事件が大詰めになってからですが。
この捜査車両は「64の事件を追っているんだ」と捜査一課長の松岡(映画では三浦友和さん)が、あのタイミングで口にしたということは、捜査一課ではこの事件発生当時からそれに気づいていたということになるんですよね。幸田とグルだったとはいわないけど、そのために幸田をずっと監視していたのだろうか…(いまいちわかってない)
原作は未読です。この辺りのことは、映画ではわかりませんでした。察しが悪かっただけかもですが。

娘を誘拐されて半狂乱になっている男、目崎には、少女を誘拐して殺害した過去がある。その証拠として、64のときと同じルートを指示する犯人の声に従わずにショートカットした道を選んだりします。その土地のことを熟知している。当然、目崎は犯人だから、この誘拐が「64」にそっくりだということはわかっている。復讐のために娘を殺されるかもしれないということを怖れてるわけです。
目崎には娘がふたりいる。
上の女の子は、高校生。下の子は、誘拐された当時の翔子ちゃんと同じくらい。つまり翔子ちゃんとあまり年の違わない女の子と、いなくなったときと同じくらいの年の女の子が、犯人のそばにいるんです。
それを知ったときの雨宮さんの悔しさはいかばかりだろうと想像してふるえてしまいました。
実際、雨宮さんは、泣いていました。

原作では、被害者の親として警察に連れてきて、さてこれから暴いてやるぞというところで終わっているようですが、ドラマ版も映画版もここには決着をつけてくれていました。ドラマ版では新聞紙上で、映画版では三上が追いつめて。
個人的に、ドラマ版のほうが、いいラストだったなと思いました。
娘からの連絡ばかり待っていた三上の奥さんが庭に出て花を植えていて、どこかで幸せにいてくれてるんだと思うことにした。と、前を向く。誰もいないリビングの電話が鳴って、それに気づいたように顔をあげるところでおわる(じゃなかったかな。どうだったろう)

原作とはちがう映画版のラストというのは、
三上が犯人逮捕に積極的に関わるところです。というか直接関わっちゃったから、広報官でいられなくなってしまう…。それはちょっと「ぇー」と思いました。広報部のみんなからの信頼とか、記者クラブとの関係もこれから築いていくところだったのに。あとラストまぎわの「どんど焼き」は、視覚的に、これですべてが終わった…という感じがしてよかったですけど、なんとなく暗い印象が…。送り火のようなものだからだろうか。

二渡(仲村トオル)という男がいるんですけど、映画では、存在感はあるのに、なんだかよくわかんなくて、どうやらスピンオフドラマがあったようなんですが、見逃しちゃっているんで、よくわかんないままでした。

印象に残っているのは、後編ほぼラスト。三上が目崎に向かって「同じ年くらいのこどもがいて、どうして殺したんだ」「どうして殺した」と詰るところです。そのときやっと目崎が犯人らしい言葉を口にするんですよね。「わからない」って。その言い方が、自分の犯行だと認めたうえでの「わからない」という返答に見えたのは、佐藤浩市の迫力のせいかも。
その他人事のような言い草に、三上がプツンとキレてしまうわけですが。
実在の事件は未解決なので犯人は捕まらないまま時効を迎えてしまっています。
はっきりとした犯行動機が語られないのにはそういった事情があるのかも。
映画では犯行の動機が金銭目的であるかのようになってましたけど。

ちなみに身代金誘拐事件は厳罰化しているので、とても割に合わない犯罪になってます。身代金の受け渡しはうまくいかないし、殺害してしまったら死刑です。この作中では受け渡しに成功したうえに誘拐したこどもを殺害していたという凶悪な展開でしたが、モデルにした実在の事件では身代金は渡せませんでした(用意はしたけど、そのまえに遺体が発見された)
逆探知か゜できなかったり、音声の録音ができなかったり。
二転三転する受け渡し場所の変更などは、他の事件からのもので。
実在した事件をモデルにしてはいても虚構になってます(小説ですしね)

幸田役の吉岡さんは声と口調に特徴あるから犯人役には向かないなと思いました。映画だとヘリウムきれかかるちょっと前くらいにはわかっちゃう。ドラマ版では結果を知ってるのに、この声じゃわからんなぁと思いました。←映画をみたあと、ドラマ版をレンタルして鑑賞したんです。なのでドラマ版のほうがよかったと感じたのは、映画よりもラストに余韻があったからでした。

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