「スポットライト 世紀のスクープ」

アカデミー賞作品賞/脚本賞受賞作品。衝撃の実話。
暗闇を照らす ひときわ明るい希望の光り。スポットライト。

いつも行っている映画館で予告映像を流していたくせに、その映画館では上映しなかったという映画です。前日にスケジュール調べて仰天しましたよ。え、やってない!? テレビでやたら宣伝してるから、どこでも上映しているものと思いこんでいたのに。
ということで、べつの映画館で鑑賞しました。ちょっと以前のことです。感想を書くのが遅れたのは、内容が内容だからです。舞台はボストン。2001年の夏からのお話。2001年には9.11の同時多発テロが発生しています(この作中でも出てきます)
スポットライトというのは、ボストンの日刊紙「ボストン・グローブ」の注目記事をのせる誌面のこと。ここに、このネタを載せようと提案するのは、2001年夏に新しく配属されてきた編集局長のバロンでした。彼に指示されたチーム(4人の記者たち)は取材を開始します。「ゲーガン事件」の洗いなおし」からはじまる取材。ゲーガン事件の証拠の開示さえままならない実情とか、4人の記者たちを通じて明らかにされていきます。

ゲーガン事件とは、神父ゲーガンが30年にわたって児童に対する性的虐待をくり返していた事件です。事件が露呈したあとも聖職を剥奪されることもなく、またあらたな赴任先で同様の事件をくり返していた男です。この男は2003年に服役中の刑務所で同じ受刑者からの暴行により死亡しています。1998年に聖職を剥奪された後、男児に性暴行をした罪で(2002年2月から)服役中でした。つまりこの4人の記者たちが取材をしていたとき、この男はのうのうとふつうの暮らしをしていたことになります。性暴行の罪に問われていたとしても、刑務所には入ってなかったんです。

以下、ネタバレしています。というか、事実なのでネタバレも何もないんですけども。

取材しているうちに「問題の神父は、ゲーガンだけではない」ということが程なくわかります。ゲーガンが特別なわけではなく、ゲーガンのような神父がボストンだけでもかなりの人数いて、その神父たちによる性的虐待は今このときも起きているかもしれないということに気づくわけです。スクープというだけじゃない。これは記事にしなくてはいけないことだと記者たちは奮いたちますが、相手はカトリック教会。その権威はすさまじいほどだし、相手は隠蔽のプロです。

その隠蔽の手口を暴くのは、実にアナログな方法で、教会がふつうに開示している資料にもヒントはあって、そこから切り崩していく手際は、さすがジャーナリストという感じでした。けれど、ドキュメンタリー映画みたいなものなので、結構、淡々としていて、記者たちは熱く燃えているんですが、ちょっと置いてかれてる気持ちにはなりました。
盛り上がってるんだけど、盛り上がりに欠けてるような。
それはたぶん、宗教というものがどういうものなのかほんとの意味ではわかってないからかもしれません。アメリカのなかで米カトリック教会がどれほどの力を持っているかなんて、あんまりわかりませんもん。想像はできますけどね。

作中では、カトリックの神父が性的虐待に走るのは「過度の禁欲生活による破綻」的な解釈をする心理学者がいましたけど、ならどうしてその対象が「児童」なんでしょうね。体力に自信がないから子供を狙った? それとも自分自身が性虐待の被害者で自分が被害を受けた年齢と同じくらいの子に手を出していた? なら、それは虐待の連鎖のようなものなのかもしれない。
記者たちの取材を拒否する神父たち。取材に協力する被害者たち。
被害者はふつうに生活している人もいれば、薬物依存におちいっている人もいる。精神的な病気を患っている人もいる。話している途中で大のおとな(男)が泣きだしてしまうのですよ。誰にも話していないんだといって泣くんです。被害児童のなかには女の子もいますが、取材協力者として作中で描かれていたのはほとんど男性でした。

相手は教会の神父です。尊敬する神にも等しい存在です。絶対的上位にいる相手から受ける性的虐待は「神が与えた罰」にもひとしい。宗教が道徳の指標になっている国での出来事です。日本とはちがいます。それは暴かれてはならない事実だったにちがいありません。多くのカトリック教徒が(暴いたことに対して)憤慨するにちがいないし、もしかしたら(新聞社を)糾弾するかもしれない。デモが発生して新聞社に暴徒たちが押しかけてくるかもしれない。と、覚悟したうえで、ついに記事にするんですけど。
予想に反して、
カトリック教徒の憤慨は神父に向かい、自分も被害者だと訴えてくる人たちからのひっきりなしの電話対応に追われることになる。つまりそれだけ隠されてきたということ。いえずにいた被害者が多かったということです。
しかも事はアメリカだけに留まらず、世界中の教会における事件が発覚していくきっかけになりました。
宗教といえば、カルト宗教における性的虐待も問題になってましたっけ。
閉鎖された空間で絶対的存在に強制される行為。それがなくなってしまったら自分という存在が保てないほど依存している関係性のなかで起きる犯罪は、結構、多いと思います。またその行為を絶対的存在に認めてほしいがために許してしまっていた場合、道徳的な指標が崩れてしまうかもしれない。その相手が伝統的な世界的宗教であるカトリックの神父だなんて罪が重いです。

そういう内容でした。

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