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「Mr.ホームズ 名探偵最後の事件」←ネタバレ

原題は「Mr. Holmes」 英米合作。主演イアン・マッケラン。原作は、ミッチ・カリン「ミスター・ホームズ 名探偵最後の事件」 邦題は、原作からもらっているんですね。前情報としては、テレビで見た予告のみだったので、93歳のホームズを演じている俳優さんが若かりし頃のホームズも演じているということくらいしかわかりませんでした。

しかも「若かりし頃」のホームズのとなりには当然ワトソンがいると思ってました。原作は未読です。レビューを見るかぎり、原作のほうが、日本の描かれ方がよさそうです。映画版での日本は、ハリウッド的なおかしな日本だったので(中国とまざってる感じの) でも演じてる俳優さんは、真田広之さんでした。出演することを知りませんでしたけど。つか日本が絡んでくる内容とは知らなかったので、まずそこにびっくりした。

へ、日本? ホームズが戦後間もない日本に来ちゃってるよ…と、そのことにびっくり。しかも、なんだかあやしげな薬草を手に入れたようだ。と思ったら、山椒だったという。山椒って頭脳の働きをよくする効能なんてあるんですかね…? 一応、薬として使われていたみたいですけど、代謝をよくするとか、その程度ですよね?
最後の頼みの綱が「日本の山椒」 しかも戦後間もない廃墟になった広島の地に生えていた草。←実際、すぐに草木ははえてきたそうですけども。原爆を投下された場所の近く、原爆ドームが見える距離にひっそりと生えてました。

真田広之が演じたのは、ホームズと長年にわたって文通していた日本人です。
おそらく文通のなかで「日本には古来から山椒っていう素晴らしいものがありましてね」とかいって、ホームズが日本に関心をよせるようにしたんでしょうね。ウメザキという男です。ホームズが来日したときは、ホームズの案内役としてずっと同行していたらしい。

さしもの名探偵も年には勝てず(といっても93歳なのに海で泳げたりするんですけども) 軽い?認知症に悩まされている。物忘れというか、失われていく記憶ですね。認知症で失われる記憶は短期記憶からです。大切でないから忘れてしまうのではありません。こどもを育てたことを忘れ、産んだことを忘れ、結婚したことを忘れます。こどもが大切じゃないから忘れるわけじゃありません。配偶者がいやだから忘れちゃうわけではありません。大切な記憶だからこそ、失われていくことが堪えられないのです。

ホームズは、ウメザキの存在も時おり忘れかけます。だからカフスにメモったりする。
山椒のこと。そして自分には、そうまでして思いだしたい記憶があること。

ホームズは、コナンドイルの原作では時系列からして49歳という若さで探偵業をやめて、サセックスで隠遁生活に入ってます。隠遁生活をしながらも事件を解決したり、また探偵業を再開して政府の仕事で諜報に携わったり(「最後の挨拶」このときの相棒は、ホームズに呼び出されて同行することになったワトソン) 英国情報部のネットワークを壊滅させたりしています(ホームズがそう語っただけだった気がするけど) あとワトソンにいわれて自分で事件簿を執筆したこともある(読んだけど、ホームズ視点のお話は面白くなかったです) 

この映画では、探偵業をやめるきっかけになった、とある女性とのやりとりを「思いだしたい記憶」として蘇らせていきます。その過程で、サセックスの一軒家で暮らす老人ホームズの世話をしている家政婦とその息子ロジャーとの交流が描かれます。

映画では、ロジャーとの交流がメインだったので、探偵業をやめるきっかけになった夫人とのやりとりはあっさりしたものでした。あっさりしすぎて、ちょっと感情移入できませんでした。シャーロキアンの間では「49歳で探偵をやめている/58歳で再開→60歳で再び隠遁」というのが定説なんですが、この映画では「30年前の事件」といっているから、63歳で探偵ををやめたんですね。

誰も見たことのないホームズ(老人だしね)
10歳の少年を新たな助手として迎え、30年前の未解決事件の謎をとくために最後の推理をする。という煽り文句はともかくとして、この映画のなかでは「未解決事件」には思えませんでした。答はホームズ自身がすべて知っていて、それを思いだせば解決するんだから。ただロジャーがいなければ、ホームズは刺激を受けることもできず、思いだすこともできなかったろうけど。

というわけで、以下ネタバレ。

若かりし頃といっても63歳なので、若い夫人とのやりとりは、恋のようには見えませんでした。
でもやはりそれは恋だったのでしょう。追いつめられている夫人の心をなぜ救うことができなかったのかと、ホームズは記憶をなくしても尚、悔やむことになる。どうしても思い出さなければならない。あの事件の真相を知らなければ、すべてを解決しなければ…という思いに駆られて、その事件を事件簿として執筆しようとしている。

それをホームズ作品好きのロジャー少年が楽しみに待っている。

それと同時に現在進行形の謎として「何故ミツバチが死んでしまうのか」というのがあって、その謎をロジャー少年とともに解こうとしています。最後の事件にしてはささやかだし、往年のホームズならもっと早くに気づいた筈のことなのに、ロジャー少年が被害に遭うまで気づかない。それが物悲しかった。

ウメザキに関しても、何故ホームズと熱心にやりとりをしていたのか、日本での交流のなかで、その理由にまでは思い至らない。ウメザキにいわれて、ようやくウメザキの心に自分への憎しみがあったことを知る。しかも「そのこと」をホームズは忘れている。渡された本が愛読誌ではなくて図書館の本で、愛読している筈なのに何故それをホームズに渡したのか、その理由までは推察できない。往年のホームズなら…(以下略)

ホームズは創作上の人物だけど、パスティッシュでは実在した人物として描かれることが多い。熱心なシャーロキアンは事件と年表をもとにして辻褄のあわないところの帳尻合わせもしている。今回の作中でも、ホームズは、ワトソンの書いた娯楽的冒険奇譚のせいで、自分に妙なイメージがついてしまったとぼやいている。ベーカー街221Bは観光地扱いになってしまったので、別のところに部屋を借りて、そこで探偵業をしている。小説のホームズと、実在のホームズは似ても似つかないので、ホームズだといってもニセモノ扱いされる始末(トレードマークの鹿撃ち帽もパイプもフィクションだといって呆れている)
最後の事件を担当したときにはすでに、ワトソンは結婚してホームズから離れ、家庭を大切にする男となっている。それでもこの事件のあと気落ちしたホームズを心配してホームズのもとを訪れ、ホームズのためにこの事件を「ホームズが活躍した事件」として書き記した。
でも、ワトソンのこの親切のおかげで、ホームズは自分の記憶との違いに気づき、どうして違っているのか、本当の事件は何だったのかを探りたい欲求にかられるのだから、ワトソンは死してなお「いい相棒」だったということかな。

93歳のホームズには、かつて親しかった人たちがひとりも残ってない(みんな逝ってしまった)
老人と少年の交流はほほえましい。その母親である家政婦が、それを不安に感じてる気持ちもわかる。親しくなっても先の短い老人だから、やがて少年が傷つくことになる。賢くて聡明な少年だからこそ老人のそばにいないほうがいいのではないと考えているっぽかったな。病気だし、認知症になりかけているしね。
ホームズと引き離そうとする母親に反撥したロジャー少年が「文字も読めないくせに!」と母親をなじったとき、ホームズが「今すぐあやまってきなさい」というシーンは好きです。「今すぐでなければダメだ。いつまでも悔いることになる。その悔いは一生残ることになる。いまなら間に合う。すぐに追いかけて、あやまるんだ」と。
ホームズは、かつて去っていく夫人を追いかけることができなかった。
得意の推理を披露して、夫人が仕掛けたトリックの種明かしをし、あなたを救うためだといって毒薬を捨てさせた。けれど、夫人は、結局、自ら命を断ってしまった。映画ではよくわからなかったんだけど、ご主人がひどい男だったらしい。妻の心を理解せず、よりそうこともせず、妻から心の拠り所にしていた音楽を奪い、流産したふたりのこどものお墓をたててほしいと願う妻に「生まれてもいない子の墓などつくって何になるんだ」というような夫。しかも妻の不貞を疑っているのか? 妻をつけまわしている。うん。いやだね。そこから逃げるために、夫を殺害しようと企てているように見せかけて、実は自殺しようとしているという、ささやかなトリック。
ホームズは、なぜ「いっしょに逃げよう」といえなかったのかと悔いている。
でも、そういわれて、夫人はついてきたんだろうか?(どうだろう?)
自分が死に追いやった(と思いこんでしまうほど助けたかった)女性なのに、痛みは憶えていても、詳細はすっかり忘れていたという現実。なぜ自分は嘘をつくことができなかったのかと思い、相手の心を救うための虚構なら許されるのだと思う。ワトソンの描いていた虚構の世界が、ある意味、正しかったのだと述懐する(後半、妄想かも/笑)

筆をとって、ウメザキに手紙を送るシーンがあるんですが、そのときウメザキの失踪した父親について記すんですけど、それは虚構なので、現実がどうだったかはわかりません。政府に関する仕事をホームズがしていたときなんだから「最後の挨拶」あたりのころなのかな。いや、第一次世界大戦っていってたかな。第二次世界大戦かな。

映画ではホームズが日本から帰国したところから物語が始まってるように思えたんだけど、この年でのイギリスから日本への長旅ってすごいな。戦後間もなくだし、交通網もいまほど便利じゃないのに。そしてそれからあまり日数が経っていないだろうときに、ロジャーから「また日本に行けばいい」といわれて「あのときは行けた。いまはダメだ」と答えるんですけど、高齢だとほんの一年でもかなり違うってことなのか、記憶がからみ合ってるのかどっちだろうと首かしげてました。
でも、まぁ…、こどもが一年で成長するように。年をとると一年で動けなくなるときは動けなくなりますしね…。高齢での日本旅行だったからこそ、病状が悪化したともいえなくもない…。

原作ではロジャーの死から物語がはじまってるそうですが、この映画は救いがあります。でも家政婦との暮らしとかって、どういう意味合いなんだろうか。家族になるってことなのかな。相続させるつもりのようだったし。

ということで、ホームズ好きだと、哀愁漂う老人の回顧録に「見たくなかったかも…」と思えてしまうような作品だったし、妙な日本に苦笑しちゃったし、女性との関わりが解せなかったけど、少年ロジャーがよかったのでよかったです(それか)
この映画の原作が好きな人が見たら「そうじゃないんだよっ」と力説したくなるかもしれないけど。

イギリスの片田舎の実にのどかな景色と、60代と90代のホームズを演じた70代のイアン・マッケランには拍手を送りたくなりました。とくに90代のときの息遣いの荒さとかリアルでしたよ…。

「僕だけがいない街」←超ネタバレ

このところ隆盛を極めている(といっても過言ではない)タイムリープもの。このジャンルの作品は昔からありましたけど、最近やたら映像化されている印象があります。「オール・ユー・ニード・イズ・キル」もタイムリープものでしたしね。

タイムスリップものとタイムリープものの違いは「意図しない時間跳躍」と「意図した時間跳躍」です。
タイムリープは本人の能力や機械やアイテムを使って時間を跳躍することで、たいていの場合「誰かを助けるため」だったり「人類を滅亡から救うため」だったり「テロを未然に防ぐため」だったりします。なので積極的に事件やらその時代の人物やらに介入します。場合によっては殺人もする。それによって取り返しのつかない惨劇が起きてしまうこともあります。「バタフライ・エフェクト」とか「12 モンキーズ」とか「ミッション 8ミニッツ」「プリデスティネーション」とか。ゲームだと「シュタインズ・ゲート」とか。
スリップものは、あるとき突然わけもわからないまま過去に戻ったり未来にいっちゃった!ってやつなので「信長協奏曲」とか「テルマエ・ロマエ」とか「仁」とか、コミックだと「王家の紋章」とか「天は赤い河のほとり」とか他多数。

タイムリープ((time leap) 直訳すると「時間跳躍」 まんまですね。
タイムスリップ(time+slip) これはいわゆる和製英語です。

まあ、どっちもいっしょなんですが、なんとなく感覚的に違ってるってことで「僕だけがいない街」はタイムリープものです(前置き長いっ 主人公は「悟」 過去、ごく身近なクラスメイトが犠牲になった連続児童誘拐殺人事件が物語に深く関わってきます。原作はミステリーものとしても秀逸で、誰が犯人かわからないというドキドキ感や絶望感を味わえます。

アニメもみました。アニメ版は終盤の3話がオリジナル展開でしたけど、あれはあれでとてもよかったです。絵柄は、アニメのほうが好きでした。

さて、映画版のネタバレ感想いきます。すっかりネタバレしてますので、ご注意ください。
原作ネタバレも含んでますので、それでもよい方だけ読んでください。



主演の藤原竜也は、デスノートの月(ライト)をはじめとしてクズな役柄が多いなかで、正直、はじめてのピュア藤原でした(私が知ってるかぎりでは、ですよ。舞台は知りませんし) ピュア…! クズじゃない…! もちろん犯人でもない…!(これは最初からわかってることなので)
タイムリープのことを、悟は「リバイバル」と呼んでいる。
なぜというに映画の映像を巻き返して見ている感覚だから。
「リバイバル」が起きるときは、決まって何かしらの事故や事件が発生するときで、その事故や事件を未然に防がないかぎり、その原因をつきとめることのできる直前に時間が巻きもどってしまう。だから悟は、これが発生すると、周囲に何か違和感がないかを探す癖がついてます。そして無事に事故や事件を未然に防ぐことができると時間が進みはじめるのですよ。でもこれ悟にとっては、ありがた迷惑な能力でしかなくて、未然に防ぐことができるからそれはよしとしても、それによって労力をつかって疲れるし、場合によっては代償を負うことだってある。
この能力、映像ではとてもわかりやすかった。
ほんの短い時間のタイムリープをくり返す。1度めは何気なく過ぎようとしたらちょっと前に時間が巻き戻っていて、2度めは違和感を探すうちに事故が発生してしまう。3度めでようやく事故を未然に防ぐことができた。けれど、自身は対向車とぶつかって入院することになった。

母親の佐知子役は石田ゆり子だったので、年のわりに若いおかあさん!というのがハマってました。色っぽいし。アニメ版ではやたら「妖怪め」と悟の思われているおかあさん(若いのもそうだし、やたら勘が鋭くて、察しが早い。元アナウンサー)

この物語は、このおかあさんとの確執めいたものも主軸にあったんだけど、映画版ではそういうのはなかったな。ずっと仲のいい母子って感じだったし(原作では、こどものときに「信じてもらえなかった」ことがあって母親とは距離をおくようになっている←だからこそ母親の死に直面して、失ってはじめてわかる大切なものに気づいたりもする)

悟が現在住んでいる場所が「千葉県船橋市」 こどものときに住んでいたのが「北海道石狩市」 このふたつの地点を行ったり来たりします。母親を殺されて、こんなときこそリバイバルしろよ!と、はじめて願う悟。自分でタイムリープを願ったのは、このときが初めての筈。母親殺しの重要参考人として追いかけられる悟は、バイト先で知り合ったアイリに助けてもらったりもする。
人付き合いの薄い悟には、友だちらしき人は身近にいないんだけど、このアイリだけは、悟を気にかけてくれていて、悟の母親とも逢っていて「悟さんが、あのおかあさんを殺すわけない」って信じてくれる。

このあたりは原作と同じで。このあとリバイバルが起きて、気づいたら昭和63年まで戻ってきちゃってることに驚くという展開。小学生だけど、中身は29歳なので、映画版ではずっと心のつぶやきは藤原竜也でした。
子役たちがすばらしかったです。
連続誘拐事件の起きる前まで遡ったことで、母親の死とこの事件に関わりがあることに気づいた悟は、誘拐事件を未然に防げば、母親を殺されずにすむと考えるんですけど、この流れも映像だとわかりやすかったです。
生きている(いまとあまり変わらない姿の)母親を見て、母親のつくってくれた料理を食べて泣きだすシーンにはもらい泣きしました。あたりまえのことがあたりまえでなくなる恐怖。あたりまえのことが大切な時間だったんだと気づくこと。
そういうのが、じんとくる。

原作では女の子に間違われるくらいかわいらしい男の子だった「ひろみ」が、映画版では「ひろこ」という女の子らしい名前になっていたのは何故なのかわからないんですけども。

原作は「連続児童誘拐殺人事件」で、ひろみは女の子と間違われて殺されたというのが定説になっていた(これは警察をミスリードさせる犯人の巧妙な仕掛けだった)
映画版は「連続少女誘拐殺人事件」で、対象は少女以外にはなかった。
ここが違うと犯人像も違ってきます。前者は巧妙な知能犯で、そこにある動機は異常性愛とかそういうのとはまったく違ったものになる。けれど、後者だと、少女(10歳前後)を狙った異常者になる。10歳前後の女の子というところにも、原作には、ちゃんとした動機めいたものがありました。動機というか、トラウマかな。
映画版ではそこがよくわからない。
あと、映画版では、映像というのもあるけど、ぶっちゃけ「ミッチーが怪しすぎる!」でした。原作知ってるから「これ、バレバレじゃないか」と思ってたけど、原作知らない友人は「最初からこいつってわかるくらい怪しかったから、かえって真犯人が別にいるんじゃないかと考えてた」とかいってたな。うん。怪しい。あやしすぎる。目つきとか、視線とか、そういうのがすべて。
だから意外性はない。

最初の犠牲者。雛月加代を助けるために奔走する悟。かつての自分は人と距離をおいていたけど、それじゃ助けられないから雛月に積極的に関わっていく。自分のまわりに友だちがいることに気づいたりもする。とくにケンヤは、悟の変化にも気づいてくれる。かつては母親とふたりで祝った誕生日にみんなを呼んだりもする(映画版ではわりと簡単にそこに至る) 1度めは雛月を助けられずに、そのまま本来の29歳のところに戻ってきてしまう。けれど、警察に追われていた筈なのに、警察がいないことに気づいて、何か変わってるのかと思ったりもする(映画版) でも母親が殺されていることに変化はなかった。
このシーンで思った。

映画版は「バタフライ・エフェクト」形式なんだなと。

悟のタイムリープ能力(リバイバル)は、事故や事件の発生する元を断ち切ることで、ようやく時間が先へ流れるという能力。失敗すると、リバイバルの起きた時点にまた戻されることになる。それが失敗したのに、また最初のところに戻ったりせず、29歳の自分(母親が殺された直後)に戻ったのには、29歳の時点で手に入る情報なり関わりなりがあったから(殺されてしまうことを防ぐことができなくても、最初のときには気づかなかったメモに気づいたりする) つまりこれもまたリバイバル能力の範疇で、事件を未然に防ぐことができないかぎり、悟の時間は正常には流れないままなんです。
これが、映画版では、もっと単純に。過去を変える→現代に戻る→何かが変わっている。
こんなふうになってる。
まぁ、SFではありがちな展開なので、すんなり受け入れちゃったけど。

原作と同じように、悟は、連続誘拐を防ぐために立ちまわったがために、犯人に目をつけられて、犯人の罠に嵌って、殺されかけます。でも殺されかけることで、犯人が誰かということが、はっきりとわかる。
ミッチーですけどね…(笑)

でも罠に嵌ったというより、悟が迂闊な感じがした。
ミッチーを疑ってたくせに、どうして車に乗ったんだろうとか、どうして問い詰めるようなことしたんだろう、とか。何かされるとわかっていて、なんで車からいっしょに降りちゃうんだろうとか。原作だと、車に乗った時点では、悟は疑いもしていない。生徒思いのやさしい先生が犯人だったなんて考えてもいないから、驚愕するんですよ。自分はなんてばかなんだと悔いるんですよ。
冷たい水のなかで、走馬灯を味わいながら。
映画版では、橋の上からかつぎ落とされてしまう。原作では車ごとシートベルトに固定されたまま落とされてる(シートベルトは外れないように細工されていたうえに、盗難車だった。もちろんずっと手袋はつけたまま)

この犯人は、巧妙に自分の身代わりとなる容疑者をつくりあげている。
連続児童誘拐殺人事件では、ひとりぼっちのこどもに話しかけていた気のやさしい兄ちゃんだった白鳥潤を犯人にしたてあげた。悟は、この潤さん(映画版では「潤さん」 原作では「ゆうきさん(勇気が口癖だったからって悟がつけていたアダ名)」を助けることも目的のひとつにしてました。
母親を殺させない=事件を未然に防ぐ=雛月加代を助ける=潤さんを犯人にしない
連続というからには連続して3人の児童が殺されています。
雛月加代 中西綾 杉田広美
原作では三人とも助けてる。けど、映画版では中西綾を助けることができなかった。
杉田広美は主人公のクラスメイトで仲間にもなって物語に欠かせない人物なのに映画版では登場すらしない。そのうえ名前がわかりやすく女の子になっている…。女の子にされている。まあ、ここ絡ませると複雑になっちゃうのかもですけども。

で、小学生のときに殺されかけた悟ですけど。
原作では、そのまま植物状態になって15年も眠りつづけます。回復はないといわれてもあきらめなかった母親のおかげで15年も眠り続けていたわりには、身長ものびてるし、筋力もついてます(母親がしていた筋トレのおかげ) それでも起き上がるまで、食べられるようになるまで、しゃべるようになるまで、歩くことが出来るまでには大変な努力とリハビリが必要でした。
しかもリバイバルした記憶とかが飛んじゃっていて、いろんな記憶が曖昧になっている。
このこんがらがった記憶を蘇らせないと、自分を殺そうとした犯人がわからないままという状態。悟が意識をとり戻して回復していくことで、ある種の衝動を忘れ去っていた犯人もまた息を吹き返すという展開。
時代背景を昭和63年から15年後にしたのは「殺人の時効が15年」だった背景が必要だったから(いまは時効ないですからね) この犯人はずっと殺人をおかしてなかったので時効はすべて成立しちゃってますから、あらたな事件が必要なんですよ。
そういうのも含めて手に汗握る展開が最終話までつづきます(雑誌で完結済み)

映画版はこの原作が未完なときに撮影しているので、途中まではともかく後半はオリジナル展開です。というかオリジナル解釈をしています。殺されかけた主人公が戻るのは、入院しているところ(このとき入院していた理由はわからないけど事故ったらしい) 以前は友だちがいなかったのに、いまは親しい友だちがいる。ケンヤとか雛月とかね。
雛月のこどもの父親が誰なのかわかんないんだけど、映画版では、もしかしてケンヤと結婚してんのかな? どういう流れでそうなったのかもわからない。というか、これはバタフライ・エフェクト効果といっしょなので、過去を改変したことで、現代における状況がガラリと変わっているんですね。
この悟は、こどものときに橋の上から突き落とされてる筈だけどそのあとどうなったのかわからない。どういう日々をすごしてきたのかもわからない。このとき犯人は、悟を落としたあとさっさと他県に移ったのだとして、悟が助かったと知りながらどうして15年も放置していたのかわからない。時効を待っていたというわけでもないし(なにせ相変わらず事件をくりかえしていた)
だからどうして突然、悟のまえに現れて、悟を殺そうとする展開に至るのかもわからない。
原作未完だったのに、この場面まで持ってきちゃうところは、さすがだけども。

アイリとの再会シーンも、初対面なのにやたら話しかけてくる懐っこい子だなと思っちゃったり。励まされた漫画があるんです。なんて、初対面な相手に話しちゃうのも、夢を語っちゃうのも違和感があった。

リバイバルするまえは「売れない漫画家」だったのに、いまは「売れっ子漫画家」になっていて。その題材が、こういうヒーローになりたかったという「正義の味方」だったりする。こどものときに見ていた正義のヒーローものだった筈なのに、パクったの??

そして「僕だけがいない街」の原作における解釈を、ものすごく単純化した、わかりやすいラスト。
あれ、これ、バッドエンドじゃね?と思った。
本人は自分を助けるためにリバイバルできないじゃん。
悟がいないのに、それらをすんなり受け入れちゃってるぽいおかあさん…。
まあ、映画版の犯人ミッチー(八代だけど)は、事件を起こしまくっていたから時効成立してない事件とかも立件できて、ひょっとしたら死刑囚になるかもだけども、主人公がそれで死んじゃったら本末転倒なんじゃないだろうか…。

僕だけがいない街。っていうのは、正常な時間の流れに戻るためにひとりで奔走する主人公をさしているのであって、ほんとにいなくなっちゃうことじゃないのになぁ…。←あ、でも、これ、ほんとにそういう意図でつけたタイトルなのかわかんないけども。
私はそう感じてたもんで。

タイトルまんまでいいけども、原作知ってると、いろいろツッコミどころ満載で。
それはそれで面白かったです。
間違い探しっぽくて。

うん。
だからバッドエンドルートだと思えばいいんじゃないかな。

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