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YAH YAH YAH

「やーやーやー」で検索しようとすると「Ya-Ya-yah」が出てくるんですが、ジャニーズJr.グループだったようです(いまは活動してないの、かな) いや、まあ、それはともかくとして、この「YAHYAH YAH」を、CHAGEがTBSの「UTAGE」特番で歌ったんですよ。歌うことは知っていたんですけども、どんなふうに歌うのかなぁとちょっと心配だったのが、録画しておいたのを、なんとなく見ていたら、うん、泣けた。いや、泣くとは思ってなかったよ。私だってさ。そんなことで泣くなんて、ありえないじゃん。
ファンとしてどう感じるかなぁとは思ってたけども。
ほら、もしかしたら憤るとかさ? そこはASKAの場所だから!とか思っちゃうとかさ?
でもそれは感じなかった。中居くんが思いっきり歌ってくれてるの見て、ただうれしかった。こんなふうに歌ってるのをTBSが流してくれるなんて思いきったもいいとこだったし、中居くんのおかげでしょう。
CHAGEが「聞いてください。YAH YAH YAH」といったときに鳥肌たったのは番宣のとき。
出だしで中居くんが思いっきり歌ってくれてるの見てじんわりきた。
CHAGEがASKAのパートを歌ってて泣けた。
収録後の楽屋まえでのCHAGEと中居くんの会話を聞いていたらボロ泣きしてしまった。
なんでこんなに泣いちゃってんの、自分ー。これから出かけるのに!とか、ひとりで唸ってました。誰もいなくてよかった。誰もいないから大泣きできたともいうけども。中居くん、ありがとう!って思ったし。
どこぞの番組でやっていた後世に残したい名曲100選のなかにも入らなかったCHAGE and ASKA(ランキング的には絶対に入ってる筈。SAY YESとか) YAH YAH YAHを「歌い継がれていく名曲」といってくれたことに感謝。
ほんとにいいもん見させてもらった気分になったので、ここにも書き残しておく(笑
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「Mr.ホームズ 名探偵最後の事件」←ネタバレ

原題は「Mr. Holmes」 英米合作。主演イアン・マッケラン。原作は、ミッチ・カリン「ミスター・ホームズ 名探偵最後の事件」 邦題は、原作からもらっているんですね。前情報としては、テレビで見た予告のみだったので、93歳のホームズを演じている俳優さんが若かりし頃のホームズも演じているということくらいしかわかりませんでした。

しかも「若かりし頃」のホームズのとなりには当然ワトソンがいると思ってました。原作は未読です。レビューを見るかぎり、原作のほうが、日本の描かれ方がよさそうです。映画版での日本は、ハリウッド的なおかしな日本だったので(中国とまざってる感じの) でも演じてる俳優さんは、真田広之さんでした。出演することを知りませんでしたけど。つか日本が絡んでくる内容とは知らなかったので、まずそこにびっくりした。

へ、日本? ホームズが戦後間もない日本に来ちゃってるよ…と、そのことにびっくり。しかも、なんだかあやしげな薬草を手に入れたようだ。と思ったら、山椒だったという。山椒って頭脳の働きをよくする効能なんてあるんですかね…? 一応、薬として使われていたみたいですけど、代謝をよくするとか、その程度ですよね?
最後の頼みの綱が「日本の山椒」 しかも戦後間もない廃墟になった広島の地に生えていた草。←実際、すぐに草木ははえてきたそうですけども。原爆を投下された場所の近く、原爆ドームが見える距離にひっそりと生えてました。

真田広之が演じたのは、ホームズと長年にわたって文通していた日本人です。
おそらく文通のなかで「日本には古来から山椒っていう素晴らしいものがありましてね」とかいって、ホームズが日本に関心をよせるようにしたんでしょうね。ウメザキという男です。ホームズが来日したときは、ホームズの案内役としてずっと同行していたらしい。

さしもの名探偵も年には勝てず(といっても93歳なのに海で泳げたりするんですけども) 軽い?認知症に悩まされている。物忘れというか、失われていく記憶ですね。認知症で失われる記憶は短期記憶からです。大切でないから忘れてしまうのではありません。こどもを育てたことを忘れ、産んだことを忘れ、結婚したことを忘れます。こどもが大切じゃないから忘れるわけじゃありません。配偶者がいやだから忘れちゃうわけではありません。大切な記憶だからこそ、失われていくことが堪えられないのです。

ホームズは、ウメザキの存在も時おり忘れかけます。だからカフスにメモったりする。
山椒のこと。そして自分には、そうまでして思いだしたい記憶があること。

ホームズは、コナンドイルの原作では時系列からして49歳という若さで探偵業をやめて、サセックスで隠遁生活に入ってます。隠遁生活をしながらも事件を解決したり、また探偵業を再開して政府の仕事で諜報に携わったり(「最後の挨拶」このときの相棒は、ホームズに呼び出されて同行することになったワトソン) 英国情報部のネットワークを壊滅させたりしています(ホームズがそう語っただけだった気がするけど) あとワトソンにいわれて自分で事件簿を執筆したこともある(読んだけど、ホームズ視点のお話は面白くなかったです) 

この映画では、探偵業をやめるきっかけになった、とある女性とのやりとりを「思いだしたい記憶」として蘇らせていきます。その過程で、サセックスの一軒家で暮らす老人ホームズの世話をしている家政婦とその息子ロジャーとの交流が描かれます。

映画では、ロジャーとの交流がメインだったので、探偵業をやめるきっかけになった夫人とのやりとりはあっさりしたものでした。あっさりしすぎて、ちょっと感情移入できませんでした。シャーロキアンの間では「49歳で探偵をやめている/58歳で再開→60歳で再び隠遁」というのが定説なんですが、この映画では「30年前の事件」といっているから、63歳で探偵ををやめたんですね。

誰も見たことのないホームズ(老人だしね)
10歳の少年を新たな助手として迎え、30年前の未解決事件の謎をとくために最後の推理をする。という煽り文句はともかくとして、この映画のなかでは「未解決事件」には思えませんでした。答はホームズ自身がすべて知っていて、それを思いだせば解決するんだから。ただロジャーがいなければ、ホームズは刺激を受けることもできず、思いだすこともできなかったろうけど。

というわけで、以下ネタバレ。

若かりし頃といっても63歳なので、若い夫人とのやりとりは、恋のようには見えませんでした。
でもやはりそれは恋だったのでしょう。追いつめられている夫人の心をなぜ救うことができなかったのかと、ホームズは記憶をなくしても尚、悔やむことになる。どうしても思い出さなければならない。あの事件の真相を知らなければ、すべてを解決しなければ…という思いに駆られて、その事件を事件簿として執筆しようとしている。

それをホームズ作品好きのロジャー少年が楽しみに待っている。

それと同時に現在進行形の謎として「何故ミツバチが死んでしまうのか」というのがあって、その謎をロジャー少年とともに解こうとしています。最後の事件にしてはささやかだし、往年のホームズならもっと早くに気づいた筈のことなのに、ロジャー少年が被害に遭うまで気づかない。それが物悲しかった。

ウメザキに関しても、何故ホームズと熱心にやりとりをしていたのか、日本での交流のなかで、その理由にまでは思い至らない。ウメザキにいわれて、ようやくウメザキの心に自分への憎しみがあったことを知る。しかも「そのこと」をホームズは忘れている。渡された本が愛読誌ではなくて図書館の本で、愛読している筈なのに何故それをホームズに渡したのか、その理由までは推察できない。往年のホームズなら…(以下略)

ホームズは創作上の人物だけど、パスティッシュでは実在した人物として描かれることが多い。熱心なシャーロキアンは事件と年表をもとにして辻褄のあわないところの帳尻合わせもしている。今回の作中でも、ホームズは、ワトソンの書いた娯楽的冒険奇譚のせいで、自分に妙なイメージがついてしまったとぼやいている。ベーカー街221Bは観光地扱いになってしまったので、別のところに部屋を借りて、そこで探偵業をしている。小説のホームズと、実在のホームズは似ても似つかないので、ホームズだといってもニセモノ扱いされる始末(トレードマークの鹿撃ち帽もパイプもフィクションだといって呆れている)
最後の事件を担当したときにはすでに、ワトソンは結婚してホームズから離れ、家庭を大切にする男となっている。それでもこの事件のあと気落ちしたホームズを心配してホームズのもとを訪れ、ホームズのためにこの事件を「ホームズが活躍した事件」として書き記した。
でも、ワトソンのこの親切のおかげで、ホームズは自分の記憶との違いに気づき、どうして違っているのか、本当の事件は何だったのかを探りたい欲求にかられるのだから、ワトソンは死してなお「いい相棒」だったということかな。

93歳のホームズには、かつて親しかった人たちがひとりも残ってない(みんな逝ってしまった)
老人と少年の交流はほほえましい。その母親である家政婦が、それを不安に感じてる気持ちもわかる。親しくなっても先の短い老人だから、やがて少年が傷つくことになる。賢くて聡明な少年だからこそ老人のそばにいないほうがいいのではないと考えているっぽかったな。病気だし、認知症になりかけているしね。
ホームズと引き離そうとする母親に反撥したロジャー少年が「文字も読めないくせに!」と母親をなじったとき、ホームズが「今すぐあやまってきなさい」というシーンは好きです。「今すぐでなければダメだ。いつまでも悔いることになる。その悔いは一生残ることになる。いまなら間に合う。すぐに追いかけて、あやまるんだ」と。
ホームズは、かつて去っていく夫人を追いかけることができなかった。
得意の推理を披露して、夫人が仕掛けたトリックの種明かしをし、あなたを救うためだといって毒薬を捨てさせた。けれど、夫人は、結局、自ら命を断ってしまった。映画ではよくわからなかったんだけど、ご主人がひどい男だったらしい。妻の心を理解せず、よりそうこともせず、妻から心の拠り所にしていた音楽を奪い、流産したふたりのこどものお墓をたててほしいと願う妻に「生まれてもいない子の墓などつくって何になるんだ」というような夫。しかも妻の不貞を疑っているのか? 妻をつけまわしている。うん。いやだね。そこから逃げるために、夫を殺害しようと企てているように見せかけて、実は自殺しようとしているという、ささやかなトリック。
ホームズは、なぜ「いっしょに逃げよう」といえなかったのかと悔いている。
でも、そういわれて、夫人はついてきたんだろうか?(どうだろう?)
自分が死に追いやった(と思いこんでしまうほど助けたかった)女性なのに、痛みは憶えていても、詳細はすっかり忘れていたという現実。なぜ自分は嘘をつくことができなかったのかと思い、相手の心を救うための虚構なら許されるのだと思う。ワトソンの描いていた虚構の世界が、ある意味、正しかったのだと述懐する(後半、妄想かも/笑)

筆をとって、ウメザキに手紙を送るシーンがあるんですが、そのときウメザキの失踪した父親について記すんですけど、それは虚構なので、現実がどうだったかはわかりません。政府に関する仕事をホームズがしていたときなんだから「最後の挨拶」あたりのころなのかな。いや、第一次世界大戦っていってたかな。第二次世界大戦かな。

映画ではホームズが日本から帰国したところから物語が始まってるように思えたんだけど、この年でのイギリスから日本への長旅ってすごいな。戦後間もなくだし、交通網もいまほど便利じゃないのに。そしてそれからあまり日数が経っていないだろうときに、ロジャーから「また日本に行けばいい」といわれて「あのときは行けた。いまはダメだ」と答えるんですけど、高齢だとほんの一年でもかなり違うってことなのか、記憶がからみ合ってるのかどっちだろうと首かしげてました。
でも、まぁ…、こどもが一年で成長するように。年をとると一年で動けなくなるときは動けなくなりますしね…。高齢での日本旅行だったからこそ、病状が悪化したともいえなくもない…。

原作ではロジャーの死から物語がはじまってるそうですが、この映画は救いがあります。でも家政婦との暮らしとかって、どういう意味合いなんだろうか。家族になるってことなのかな。相続させるつもりのようだったし。

ということで、ホームズ好きだと、哀愁漂う老人の回顧録に「見たくなかったかも…」と思えてしまうような作品だったし、妙な日本に苦笑しちゃったし、女性との関わりが解せなかったけど、少年ロジャーがよかったのでよかったです(それか)
この映画の原作が好きな人が見たら「そうじゃないんだよっ」と力説したくなるかもしれないけど。

イギリスの片田舎の実にのどかな景色と、60代と90代のホームズを演じた70代のイアン・マッケランには拍手を送りたくなりました。とくに90代のときの息遣いの荒さとかリアルでしたよ…。

「僕だけがいない街」←超ネタバレ

このところ隆盛を極めている(といっても過言ではない)タイムリープもの。このジャンルの作品は昔からありましたけど、最近やたら映像化されている印象があります。「オール・ユー・ニード・イズ・キル」もタイムリープものでしたしね。

タイムスリップものとタイムリープものの違いは「意図しない時間跳躍」と「意図した時間跳躍」です。
タイムリープは本人の能力や機械やアイテムを使って時間を跳躍することで、たいていの場合「誰かを助けるため」だったり「人類を滅亡から救うため」だったり「テロを未然に防ぐため」だったりします。なので積極的に事件やらその時代の人物やらに介入します。場合によっては殺人もする。それによって取り返しのつかない惨劇が起きてしまうこともあります。「バタフライ・エフェクト」とか「12 モンキーズ」とか「ミッション 8ミニッツ」「プリデスティネーション」とか。ゲームだと「シュタインズ・ゲート」とか。
スリップものは、あるとき突然わけもわからないまま過去に戻ったり未来にいっちゃった!ってやつなので「信長協奏曲」とか「テルマエ・ロマエ」とか「仁」とか、コミックだと「王家の紋章」とか「天は赤い河のほとり」とか他多数。

タイムリープ((time leap) 直訳すると「時間跳躍」 まんまですね。
タイムスリップ(time+slip) これはいわゆる和製英語です。

まあ、どっちもいっしょなんですが、なんとなく感覚的に違ってるってことで「僕だけがいない街」はタイムリープものです(前置き長いっ 主人公は「悟」 過去、ごく身近なクラスメイトが犠牲になった連続児童誘拐殺人事件が物語に深く関わってきます。原作はミステリーものとしても秀逸で、誰が犯人かわからないというドキドキ感や絶望感を味わえます。

アニメもみました。アニメ版は終盤の3話がオリジナル展開でしたけど、あれはあれでとてもよかったです。絵柄は、アニメのほうが好きでした。

さて、映画版のネタバレ感想いきます。すっかりネタバレしてますので、ご注意ください。
原作ネタバレも含んでますので、それでもよい方だけ読んでください。



主演の藤原竜也は、デスノートの月(ライト)をはじめとしてクズな役柄が多いなかで、正直、はじめてのピュア藤原でした(私が知ってるかぎりでは、ですよ。舞台は知りませんし) ピュア…! クズじゃない…! もちろん犯人でもない…!(これは最初からわかってることなので)
タイムリープのことを、悟は「リバイバル」と呼んでいる。
なぜというに映画の映像を巻き返して見ている感覚だから。
「リバイバル」が起きるときは、決まって何かしらの事故や事件が発生するときで、その事故や事件を未然に防がないかぎり、その原因をつきとめることのできる直前に時間が巻きもどってしまう。だから悟は、これが発生すると、周囲に何か違和感がないかを探す癖がついてます。そして無事に事故や事件を未然に防ぐことができると時間が進みはじめるのですよ。でもこれ悟にとっては、ありがた迷惑な能力でしかなくて、未然に防ぐことができるからそれはよしとしても、それによって労力をつかって疲れるし、場合によっては代償を負うことだってある。
この能力、映像ではとてもわかりやすかった。
ほんの短い時間のタイムリープをくり返す。1度めは何気なく過ぎようとしたらちょっと前に時間が巻き戻っていて、2度めは違和感を探すうちに事故が発生してしまう。3度めでようやく事故を未然に防ぐことができた。けれど、自身は対向車とぶつかって入院することになった。

母親の佐知子役は石田ゆり子だったので、年のわりに若いおかあさん!というのがハマってました。色っぽいし。アニメ版ではやたら「妖怪め」と悟の思われているおかあさん(若いのもそうだし、やたら勘が鋭くて、察しが早い。元アナウンサー)

この物語は、このおかあさんとの確執めいたものも主軸にあったんだけど、映画版ではそういうのはなかったな。ずっと仲のいい母子って感じだったし(原作では、こどものときに「信じてもらえなかった」ことがあって母親とは距離をおくようになっている←だからこそ母親の死に直面して、失ってはじめてわかる大切なものに気づいたりもする)

悟が現在住んでいる場所が「千葉県船橋市」 こどものときに住んでいたのが「北海道石狩市」 このふたつの地点を行ったり来たりします。母親を殺されて、こんなときこそリバイバルしろよ!と、はじめて願う悟。自分でタイムリープを願ったのは、このときが初めての筈。母親殺しの重要参考人として追いかけられる悟は、バイト先で知り合ったアイリに助けてもらったりもする。
人付き合いの薄い悟には、友だちらしき人は身近にいないんだけど、このアイリだけは、悟を気にかけてくれていて、悟の母親とも逢っていて「悟さんが、あのおかあさんを殺すわけない」って信じてくれる。

このあたりは原作と同じで。このあとリバイバルが起きて、気づいたら昭和63年まで戻ってきちゃってることに驚くという展開。小学生だけど、中身は29歳なので、映画版ではずっと心のつぶやきは藤原竜也でした。
子役たちがすばらしかったです。
連続誘拐事件の起きる前まで遡ったことで、母親の死とこの事件に関わりがあることに気づいた悟は、誘拐事件を未然に防げば、母親を殺されずにすむと考えるんですけど、この流れも映像だとわかりやすかったです。
生きている(いまとあまり変わらない姿の)母親を見て、母親のつくってくれた料理を食べて泣きだすシーンにはもらい泣きしました。あたりまえのことがあたりまえでなくなる恐怖。あたりまえのことが大切な時間だったんだと気づくこと。
そういうのが、じんとくる。

原作では女の子に間違われるくらいかわいらしい男の子だった「ひろみ」が、映画版では「ひろこ」という女の子らしい名前になっていたのは何故なのかわからないんですけども。

原作は「連続児童誘拐殺人事件」で、ひろみは女の子と間違われて殺されたというのが定説になっていた(これは警察をミスリードさせる犯人の巧妙な仕掛けだった)
映画版は「連続少女誘拐殺人事件」で、対象は少女以外にはなかった。
ここが違うと犯人像も違ってきます。前者は巧妙な知能犯で、そこにある動機は異常性愛とかそういうのとはまったく違ったものになる。けれど、後者だと、少女(10歳前後)を狙った異常者になる。10歳前後の女の子というところにも、原作には、ちゃんとした動機めいたものがありました。動機というか、トラウマかな。
映画版ではそこがよくわからない。
あと、映画版では、映像というのもあるけど、ぶっちゃけ「ミッチーが怪しすぎる!」でした。原作知ってるから「これ、バレバレじゃないか」と思ってたけど、原作知らない友人は「最初からこいつってわかるくらい怪しかったから、かえって真犯人が別にいるんじゃないかと考えてた」とかいってたな。うん。怪しい。あやしすぎる。目つきとか、視線とか、そういうのがすべて。
だから意外性はない。

最初の犠牲者。雛月加代を助けるために奔走する悟。かつての自分は人と距離をおいていたけど、それじゃ助けられないから雛月に積極的に関わっていく。自分のまわりに友だちがいることに気づいたりもする。とくにケンヤは、悟の変化にも気づいてくれる。かつては母親とふたりで祝った誕生日にみんなを呼んだりもする(映画版ではわりと簡単にそこに至る) 1度めは雛月を助けられずに、そのまま本来の29歳のところに戻ってきてしまう。けれど、警察に追われていた筈なのに、警察がいないことに気づいて、何か変わってるのかと思ったりもする(映画版) でも母親が殺されていることに変化はなかった。
このシーンで思った。

映画版は「バタフライ・エフェクト」形式なんだなと。

悟のタイムリープ能力(リバイバル)は、事故や事件の発生する元を断ち切ることで、ようやく時間が先へ流れるという能力。失敗すると、リバイバルの起きた時点にまた戻されることになる。それが失敗したのに、また最初のところに戻ったりせず、29歳の自分(母親が殺された直後)に戻ったのには、29歳の時点で手に入る情報なり関わりなりがあったから(殺されてしまうことを防ぐことができなくても、最初のときには気づかなかったメモに気づいたりする) つまりこれもまたリバイバル能力の範疇で、事件を未然に防ぐことができないかぎり、悟の時間は正常には流れないままなんです。
これが、映画版では、もっと単純に。過去を変える→現代に戻る→何かが変わっている。
こんなふうになってる。
まぁ、SFではありがちな展開なので、すんなり受け入れちゃったけど。

原作と同じように、悟は、連続誘拐を防ぐために立ちまわったがために、犯人に目をつけられて、犯人の罠に嵌って、殺されかけます。でも殺されかけることで、犯人が誰かということが、はっきりとわかる。
ミッチーですけどね…(笑)

でも罠に嵌ったというより、悟が迂闊な感じがした。
ミッチーを疑ってたくせに、どうして車に乗ったんだろうとか、どうして問い詰めるようなことしたんだろう、とか。何かされるとわかっていて、なんで車からいっしょに降りちゃうんだろうとか。原作だと、車に乗った時点では、悟は疑いもしていない。生徒思いのやさしい先生が犯人だったなんて考えてもいないから、驚愕するんですよ。自分はなんてばかなんだと悔いるんですよ。
冷たい水のなかで、走馬灯を味わいながら。
映画版では、橋の上からかつぎ落とされてしまう。原作では車ごとシートベルトに固定されたまま落とされてる(シートベルトは外れないように細工されていたうえに、盗難車だった。もちろんずっと手袋はつけたまま)

この犯人は、巧妙に自分の身代わりとなる容疑者をつくりあげている。
連続児童誘拐殺人事件では、ひとりぼっちのこどもに話しかけていた気のやさしい兄ちゃんだった白鳥潤を犯人にしたてあげた。悟は、この潤さん(映画版では「潤さん」 原作では「ゆうきさん(勇気が口癖だったからって悟がつけていたアダ名)」を助けることも目的のひとつにしてました。
母親を殺させない=事件を未然に防ぐ=雛月加代を助ける=潤さんを犯人にしない
連続というからには連続して3人の児童が殺されています。
雛月加代 中西綾 杉田広美
原作では三人とも助けてる。けど、映画版では中西綾を助けることができなかった。
杉田広美は主人公のクラスメイトで仲間にもなって物語に欠かせない人物なのに映画版では登場すらしない。そのうえ名前がわかりやすく女の子になっている…。女の子にされている。まあ、ここ絡ませると複雑になっちゃうのかもですけども。

で、小学生のときに殺されかけた悟ですけど。
原作では、そのまま植物状態になって15年も眠りつづけます。回復はないといわれてもあきらめなかった母親のおかげで15年も眠り続けていたわりには、身長ものびてるし、筋力もついてます(母親がしていた筋トレのおかげ) それでも起き上がるまで、食べられるようになるまで、しゃべるようになるまで、歩くことが出来るまでには大変な努力とリハビリが必要でした。
しかもリバイバルした記憶とかが飛んじゃっていて、いろんな記憶が曖昧になっている。
このこんがらがった記憶を蘇らせないと、自分を殺そうとした犯人がわからないままという状態。悟が意識をとり戻して回復していくことで、ある種の衝動を忘れ去っていた犯人もまた息を吹き返すという展開。
時代背景を昭和63年から15年後にしたのは「殺人の時効が15年」だった背景が必要だったから(いまは時効ないですからね) この犯人はずっと殺人をおかしてなかったので時効はすべて成立しちゃってますから、あらたな事件が必要なんですよ。
そういうのも含めて手に汗握る展開が最終話までつづきます(雑誌で完結済み)

映画版はこの原作が未完なときに撮影しているので、途中まではともかく後半はオリジナル展開です。というかオリジナル解釈をしています。殺されかけた主人公が戻るのは、入院しているところ(このとき入院していた理由はわからないけど事故ったらしい) 以前は友だちがいなかったのに、いまは親しい友だちがいる。ケンヤとか雛月とかね。
雛月のこどもの父親が誰なのかわかんないんだけど、映画版では、もしかしてケンヤと結婚してんのかな? どういう流れでそうなったのかもわからない。というか、これはバタフライ・エフェクト効果といっしょなので、過去を改変したことで、現代における状況がガラリと変わっているんですね。
この悟は、こどものときに橋の上から突き落とされてる筈だけどそのあとどうなったのかわからない。どういう日々をすごしてきたのかもわからない。このとき犯人は、悟を落としたあとさっさと他県に移ったのだとして、悟が助かったと知りながらどうして15年も放置していたのかわからない。時効を待っていたというわけでもないし(なにせ相変わらず事件をくりかえしていた)
だからどうして突然、悟のまえに現れて、悟を殺そうとする展開に至るのかもわからない。
原作未完だったのに、この場面まで持ってきちゃうところは、さすがだけども。

アイリとの再会シーンも、初対面なのにやたら話しかけてくる懐っこい子だなと思っちゃったり。励まされた漫画があるんです。なんて、初対面な相手に話しちゃうのも、夢を語っちゃうのも違和感があった。

リバイバルするまえは「売れない漫画家」だったのに、いまは「売れっ子漫画家」になっていて。その題材が、こういうヒーローになりたかったという「正義の味方」だったりする。こどものときに見ていた正義のヒーローものだった筈なのに、パクったの??

そして「僕だけがいない街」の原作における解釈を、ものすごく単純化した、わかりやすいラスト。
あれ、これ、バッドエンドじゃね?と思った。
本人は自分を助けるためにリバイバルできないじゃん。
悟がいないのに、それらをすんなり受け入れちゃってるぽいおかあさん…。
まあ、映画版の犯人ミッチー(八代だけど)は、事件を起こしまくっていたから時効成立してない事件とかも立件できて、ひょっとしたら死刑囚になるかもだけども、主人公がそれで死んじゃったら本末転倒なんじゃないだろうか…。

僕だけがいない街。っていうのは、正常な時間の流れに戻るためにひとりで奔走する主人公をさしているのであって、ほんとにいなくなっちゃうことじゃないのになぁ…。←あ、でも、これ、ほんとにそういう意図でつけたタイトルなのかわかんないけども。
私はそう感じてたもんで。

タイトルまんまでいいけども、原作知ってると、いろいろツッコミどころ満載で。
それはそれで面白かったです。
間違い探しっぽくて。

うん。
だからバッドエンドルートだと思えばいいんじゃないかな。

「エヴェレスト神々の山嶺」←ネタバレ

原作は夢枕獏さんの「神々の山嶺」 映画版タイトルは「エヴェレスト」で、本題は副題みたいになってますね。作品は10年以上まえに刊行されたものです。原作は未読です。Amazonレビューを読んだだけです(すみません)

映像は素晴らしかったです。
なにしろネパール大地震が発生した同月(4月)上旬まで撮影していて、後日撮影しようと思っていた場所が雪崩でやられてしまったというアクシデントをのりこえての大作ですし。僅かながら、大地震でやられてしまうまえのカトマンズを見ることができます。
それと美しくも神々しい山々が見れます。素晴らしいですよ。
ものすごい雪深いのに、ラストに挑むエヴェレストの南西壁は雪が積もらない岸壁って感じでした。ほとんど垂直だし、強風だし、落石あるし。この描かれ方を見て思いだしたのは、コミック「岳」 三歩くん。
三歩くんが登ったのはローツェの南壁でしたけど、描写は同じ感じ。
「岳」でみたかったかも…(こら)

以下、ネタバレ含んだ感想です。

見終わったときに浮かんだ感想は「……これって…ファンタジー?」でした。
もしくは、オカルト?
原作もそうなってんのかな。原作は小説だから、極限の中で不思議な感覚に襲われた。とか、そんなふうに書かれたらすんなり受け入れてしまいそうですけども映像だとそうはいかなかったなぁ。心の友みたいになってんのも解せなかった。

とりあえず、あらすじを書こうかと思ったんですが、だらだらになっちゃうので簡単にまとめてしまうと、山岳写真家と登山家の話です。それだけです。深町は男の写真を撮りたいと思い、羽生はエヴェレストに登りたいと思う。もひとつあった。深町はスクープを手に入れたい欲があるので「遭難した登山家ジョージ・マロリーの遺体から登頂した証拠になるカメラフィルムを回収しよう」と思っている。
このジョージ・マロニーはエヴェレストに登ろうという人たちの間では超有名な登山家。なぜ山にのぼるのかと問われて「そこに山があるから」と答えた人です(この台詞だけは知ってた/実は誤訳。直訳だとエベレスト)
「なぜエベレストにのぼるのか」「そこにそれがあるから」
まあ「山」のほうがカッコいいので、この映画でも「山」になってる。
映画では簡単な説明が入ります。
そして羽生は「俺は、俺がここにいるから」とかいってました。
いま思うと、暗示的な台詞だな。
ほんとに「そこにいる人」になってしまったし…。

写真家の深町と登山家の羽生に振りまわされる女性として「待つ女」がいるんですけど、登山家に惚れた女なら共感できるのかもしんない。私はできませんでしたけど。いや、なんか…そうだなぁ…
登山の魅力が伝わってこなかったせいだ。
苛酷さしか伝わってこない。
だから「……そんなにつらいなら登らなきゃいいじゃん」なんて思っちゃう。
登山は生半可な気持ちでやっちゃいけないくらい苛酷なもの。それは確かだけど、それでいて、なんの訓練も受けてなさそうなふつうの女性がエヴェレストのキャンプ場まで登ってきちゃってるのに、すごい違和感が…。え、そんな簡単にここまでなら来れちゃうものなの?って思った。ちょっと軽装にも見えたし。

比較するもんじゃないけども、
映画「岳」では、山の景色が美しく、山頂から見える景色のために登っているんだなというのがわかったし。そのまえに見た「剱岳」も、雲海の美しさに息をのんだ。
この映画にも絶景はある。
でも、なんだろう。感動がない。景色はすごくきれい(何度も書いてるけど)
でもそれは色鮮やかな景色ではなくて、白と黒の世界。
男たちは疲れきっている。苛酷な撮影だったんだろうなと思った。
でも、それだけ。

ひとことでいって、つまらなかった。眠くなった。寝た。ああ…、もったいない。
なんかすごくもったいない。
あんなに壮大な景色なのに…!

原作にいる重要人物には違いないんだろうけど、個人的に「待つ女」はもっと出番少なくてもよかったのにと思った。彼女がいるから物語が散漫になって、男同士の心のつながりのようなものがよくわかんない感じになっちゃったなぁと。
山に向かって「どれだけ大切な人を奪えば気がすむのよ!」って叫ぶシーンがあるんだけど、……山はただそこにあるだけでしょうに。と、思ってしまいました。
羽生がなぜ遭難したのかもわからない(天候が変わったせいだろうけど) 写真家の深町がどんなふうにしてその遺体に辿りついたのかもわからない。そもそも南西壁にふたりで挑んで、落石とか強風とかで踏み外して落ちかけて、深町はそこで撤退することにして降りるんだけど、この壁…降りるほうが大変なんじゃないの?と思った。それとも羽生が深町かかえて降ろしてくれたの? それとも上にいっちゃえば、なだらかな下山ルートがあったりすんのかな。
落石とか雪崩とか強風とかのほかに落雷も脅威だというのは「岳」で読んだけど。
羽生を探すために南西壁に再び向かう深町。
でも途中が省かれているので、わりと簡単に羽生を見つけたように見えたんだけど、かといって遺体を抱えて連れ帰るわけにもいかないし、遺品も回収しない(なんでだ) ただ「魂を連れ帰る」といって「ここにこい」って叫ぶんだけど。下山しようっていうんだけど。羽生はついていかないんじゃないかと思っちゃったよ。だってまるで山の神にでもなったような姿でしたし。
ジョージ・マロニーの遺体も近くにあって(実際、遺体は発見されている)
登頂したか否か、登頂したなら初登頂なのに証がなくて、いまだに結論は出てません。と、劇中の説明でもいってましたけど。

残念な映画でした。

「インサイダーズ 内部者たち」←ネタバレ

韓国映画です。イ・ビョンホン好きな母と鑑賞しました。近場でやってなかったから大変でした。近場でやってない映画が結構あるんですよね。あまり気にしてなかったけど韓国映画なんてほんとにやってない(需要ないわけじゃないと思うんだけどな)
キャストは、イ・ビョンホン チョ・スンウ ペク・ユンシク

暴力でのし上がった男 すべてを暴こうとする検事 政界と財界を操る策士
---最後に笑うのは誰だ。

インサイダーとか内部者とかいうとインサイダー取引が浮かぶので、てっきり株取引が関係する内容なのかと勘違いしてました。原題は「Inside Men」 韓国の同名Webコミック原作。巨悪に立ち向かう若き検事とチンピラの話です。
えげつない暴力と性接待の描写をみながら、日本にも昔はこういう映画あったよなぁと思った(伊丹さんとか) なんでいまの日本はこういう映画をつくれないんだろう。骨太の。男くさい。わかりやすい。とても痛快な映画。
半沢直樹がそうだったのかな。
この映画は暴力と性描写があるため「R15+」指定です。

以下、超ネタバレ。


イ・ビョンホン演じるアン・サングはチンピラだけど可愛げのある男で、手下たちに慕われています。兄貴分のガンヒを無条件に信頼し、ガンヒのために尽くす犬ころみたいな可愛らしさもある。最初の登場シーンではスーツをびしっと着こなしたいつものイ・ビョンホンなので、それなりのステータスをもった男にしか見えないんですけど、実はただのチンピラという役柄。
長髪にして無精髭をはやして崩れた姿勢でいると、ほんとにチンピラにしか見えない。暴力的だけど、どこか抜けていて。兄貴分のガンヒに疑いももたずに懐いてるのもそうだし、暴力シーンでも簡単に敵に背を向けて後頭部を殴られます。

韓国のいいまわしで「後頭部を殴る」というのは「いい顔をしておいて裏切る」という意味を含んでいるんですけど、これはもうただ「後頭部を殴られて」気絶するという黄金パターンのようでした(コントの)
そんなわけで、ふっと笑っちゃうシーンもあります。愛すべき男で、魅力的でした。

チョ・スンウ演じるウ・ジャンフン検事は(字幕では「ウ検事」だったけど) 元警官でもともと正義の側にたつ人間でした。警察では高学歴でないと上を目指すことができないので見切りをつけ、死ぬ気になって勉強しまくって検事になった叩き上げだけど、検事になったらなったで今度はコネと後ろ盾がないから出世ができないという現実を知り、一発逆転を狙います。

ペク・ユンシク演じるガンヒは、大手新聞社の論説主幹という立場を利用して、財閥とマスコミを巧みに動かし有力大統領候補を次期大統領にする企みに興じている男です。この財閥からの裏金献金ファイルをアン・サングが「脅しに使えるでしょ!兄貴♪」と尻尾振って持ってきたので、それに乗るふりをして弟分のアン・サングを罠に嵌めます(つまりアン・サングはガンヒに散々いいように使われていたのに、実質的に何をしていたのか知らなかったんでしょうね)
手首をなくすほどの怖ろしい目に遭いながら生きのびたアン・サング。だけど、ウ検事から話を聞くまで、兄貴分のガンヒのことは疑いもしてなかったという懐きっぷりが、ほんとに可愛かったです。裏切られたとわかったときの顔つきも。
財閥から次期大統領候補へと流れている裏金の捜査を打ち切られて中枢から外されてしまったウ検事は、このチンピラと手を組んで巨悪を暴こうとします。性接待をしている絶対的な証拠と、消された裏金献金ファイルを再び手に入れようとする。ファイルを手に入れておいてコピーもとらなかったというのか!とアン・サングに詰めよったりする。そこまで間抜けなのかと(笑) そこまで間抜けじゃなくて、ちゃんと堂々と隠し持ってたわけですけど。
ガンヒの裏切りを知っても、アン・サングの怒りはそれほどじゃなかった。
けれど、ウ検事に手をかして、逮捕されることを承知のうえでマスコミに裏金献金ファイルを公表する。でも、ただのチンピラの言葉は信じてもらえない。策士ガンヒは、すぐに手をまわして、アン・サングの過去についてあることないことをマスコミを使って記事にして、そのファイルの信ぴょう性を大衆に疑わせる。アン・サングは詐欺師。暴力と性的虐待をしてきた男というふうに。
それはいかにも「大衆などいくらでも動かせる」というペンの力を体現する行為です。

アン・サングが怒りを抱いたのは、自分のそばで自分に手をかしてくれていた元アイドルグループの女が殺されたことをテレビニュースを通じて知ったときでした。復讐しようとしているアン・サングに「このまま逃げない?」と持ちかけた女です。汚れた仕事をしていたけど、どこか清らかな感じがして、好感のもてる役柄でした。役者さんもよかったのかも。「モルディブに行ってモヒートを飲みましょう」という台詞が光りました。というのも、それを聞いたアン・サングが「モヒートにいってモルディブ飲もうぜ」とラストにいうからです(かわいいでしょう/笑) 笑うところですよ^^

ここから先は、ウ検事が、アン・サングを裏切って寝返ったように見える演出の先にどんでん返しがあって、巨悪を暴くことに成功するわけです。痛快ですよ。でも「チンピラの言葉は誰も信じない。けれど、検事だったらどうだ」というアン・サングのつぶやきが、韓国社会をあらわしているようで暗然とした気持ちになりました。
まぁ、どこの国も同じでしょうけども(肩書に弱い)

半沢直樹を見たくなりました(まだ未視聴)

よく考えてみると首をかしげる展開もあるんですけども、尺とか考えたら、うまくまとまっていてほんとに面白かったです。いい映画を見たというよりも「痛快だったね」という感想でした。もやもやが残らないです。
もやったのは、
「モヒートってどこだ。日本か」
「やめてくれ」
「中国か」
というラストのやりとりかな。
あと韓国の儒教精神を知らないと「兄と弟」という義兄弟のつながりとかピンとこないかも。年上のアン・サングに年上の対する言葉遣いをしないウ検事とか(チンピラに敬語を使うやつがあるかとかいってたけど) チンピラのアン・サングがそれだけのことでウ検事のことを「礼儀のなってないやつだ」というところとか。アン・サングがウ検事の父親(自分より明らかに年上)には比較的丁寧な言葉遣いをしていることとか。年下のウ検事に対しては遠慮なく汚い言葉を遣いまくってるところとか。

それから個人的な感覚なんですけど、
私は韓国ドラマや映画のなかの女の子の喋り方が好きではなくて、なんでこんなに嫌いなんだろうと思っていたら、どうも語尾がのびてたり、そのときの表情や口元だったり、語尾に余分な擬音みたいなのがくっついていたりするのが耳障りみたいです。あと舌打ちもね。そこまで聴いてるわけじゃないのにな。うちの母はちょっと聴いただけで中国語と韓国語の違いがわかってましたけど(私にはわからん) だからたぶん歴史ものだったら不快感ないのかもしんない(おそらく日本と同じく、いいまわしが古風だろうし)

暴力的でえげつない性接待の描写があったり、リアルな効果音で下品だったりもしたけど、いろんな意味で、面白い映画でした。

「マネー・ショート 華麗なる大逆転」←ネタバレ

ネタバレというか、まず用語の説明をしたい。なんというか、難しかったので。解説がほしかったので。劇中でも簡単に説明はしてくれるんですけど、それを理解できるかどうかで映画の評価はわかれるんじゃないかな。

ブラッド・ピット代表のプランBエンターティメント製作。
原題は「The Big Short」 原作は「世紀の空売り 世界経済の破綻に賭けた男たち」
原作タイトルのほうが「華麗なる大逆転」より映画内容にぴったり合います。

「世界経済の破綻に賭けた男たち」

リーマン・ショックの舞台裏がわかります。いまいちわかってなかったあの出来事が、ああ、そういうことだったのねと理解できた気持ちになれる。でもわかんない用語が飛び交うので、それを理解するのにちょっと時間かかったり、眠たくなったりしてしまいます。まず「空売り」ってなんですか。ってところからして、つまずく。株やってないとわからん。

そんなわけで、まず用語解説。といっても難しいことはわからんので箇条書き。

「空売り」
現物のない信用取引。先物取引。現物を借りて売ることで株価を下げて、下がった株を買い戻して取引先に返して儲ける。故意に株価を下げるために大量の株を売りまくることができるので、政府の規制対象になっている。

「モーゲージ債(MBS)」
不動産担保証券。銀行が貸し出した住宅ローンをまとめて証券(商品)にしたもの。

「CDO」
債務担保証券。ローンや公社債とかを担保にして証券(商品)にしたもの。ごちゃまぜパック商品。

「CDS」
取引がダメになったときのための保険。失業保険とか倒産保険とかと同じ考えの「もしものときのための」保険。信用取引保険。月々の保険料が発生する。

ややこしいですね。
このややこしさが肝です。仕組みをよく知らない一般人は長ったらしい説明とか規約とか読みもせず「これは超安全でお得な証券」とか「お金がなくても家が持てちゃいますよ」とかいわれたら「え、すごい。ほしい!」って飛びついちゃうでしょう。説明されてもよくわからんし、その証拠のように、この映画を鑑賞している大半の人は睡魔に襲われるはず(!)

劇中、バブル風呂につかったブロンド美女が説明してくれたりするけど、まったく頭に入ってきません。
不良債権のまじったCDOについては、腐った材料も加工しちゃえばわかんないだろ的な説明をしてくれます。おいしいスープのなかに混ぜちゃえば、おいしいものにしか感じませんもんね。

ストリッパーみたいなその日暮らしの低所得者層がいくつも家を持ってそれを担保に証券を持ったりしている状況や、どう考えてもお金を返せるとは思えない人たちのローン債をまぜこんだパック商品(CDO)に、格付け会社がAAA(超安全ですよ)という評価を与えているがために、そんな腐ったものまでまざっているとは思いもしない個人投資家たちがこぞって買い集めてしまっていたり。また銀行が、そんな詐欺まがいのものを「お得ですよ」「安全ですよ」と偽装して顧客に売りまくっていたり。
どう考えても破綻しているのに、一向にCDOの価値が下がらかったり(格付け会社が価値を下げないから、銀行は相変わらずその不良商品を顧客に売りまくっているという状態がしばらく続いていた)
早く破綻しろとばかりに焦る男たちも含めて。
マネーゲームというのは汚くておそろしい世界だなと思いました。

CDS(保険)は、CDOが破綻してはじめて価値の出るものなので、CDSに投資しまくってる男たちは、一刻も早くCDOの価値が紙同然になればいいと思っているんですよ。それがマイケルたち4人のアウトローな男たちです。

最初に「このCDOってヤバいんじゃね」と気づいたのは変人金融トレーダーのマイケル。マイケルは、このCDOがヤバいなら、このCDOがダメになったときのための保険をつくって加入すればボロ儲けできそうだと思いつきます。その考えに共感したのが若手銀行家のジャレットで、ジャレットはヘッジファンドマネージャーのマークに「CDSに大金をつぎ込もうぜ」と提案します。そこからがまた専門用語が飛び交っててよくわからんのですが、自分たちだけでは限界あるから、伝説の大物金融トレーダー・ベンに話を持ちこんで協力を仰ぎ、そのコネをつかって出資金(というか譲渡金というか預り金)をかき集めて、一発勝負に出るわけです。
CDS(取引がダメになったときのための保険)に巨額を投じる。多額の保険料を支払ってる状態なので、時が経てば経つほど資金が目減りしていく。早いところCDOが破綻してくれないと破産してしまうという綱渡りのなかで、焦ったり、どうして格付け会社が「AAA」のまま価値を下げないのかと憤ったり、銀行に悪態をついたり、俺が間違っていたのかもしれないと凹んだりしていた、ある日。それがはじまるわけです。

「はじまった」

という言葉に背筋がぞくっとしました。ついにはじまった。待ち望んでいた瞬間が。でもそれは経済の破綻を意味する。これによって失業する人もいれば、家を失う人も出る。お金のすべてを失う人もいるだろうし、自殺者も出るだろう。
だから手放しでは喜べない。
けれど、CDS(保険)の価値を上げるだけ上げておいて売りに転じるんですよ。投資家だから。
そんな勝ち組4人のお話。

空売りをすることで価値を下げようともするしね。
でもこの男たちが破綻を招いたわけじゃない。

モーゲージ債(住宅担保債権)は、住宅の価値が上がっていくことをベースにして成り立つ債権で、それらをひっくるめてパッケージにパッケージを重ねていくCDOのなかには、到底お金なんか持ってない買った住宅が高く売れることを見こんでローンを組んでいる低所得者層のサブプライムローン債権がまざっていたので、住宅の価値が下がればたちまち焦げ付き返済できずに不良債権化していくというおっきなリスクが、裾野をひろげていた状態だったわけです。
知らずに買っていた人も多かったんですね。つか、そういう人のほうが多かったから、住宅バブルが弾けたことで、サブプライムローンに債務不履行が生じて、リーマン・ブラザーズが史上最悪の大赤字をだして倒産することで、自分の持っている証券が紙同然になってしまうということに気づいたときには遅かった。

サブプライムローンというのは、お金ないけど家がほしい人のためのローンで。住宅を担保にすることで成り立つローンでした。いざとなったら「家を売ればいい」というのができなくなったら、たちまち債務不履行になります。まるでドミノのようにパタパタと倒れてしまった。関連商品が軒並み影響を受けて、株式相場が急落するという事態になって、超ドル安になるわけです。

余波はいまだに続いてますね。
もう10年経ってるのに。

すごい映画でした。けれど、用語がわかんないと、わかんないまま終わります(笑
なんか難しくなかった? 眠くなっちゃったよね。
そんな感想になっちゃうこと請け合いです(実際そうだった)

もうちょい、わかりやすくしてほしかったかなぁ。
でもこういう映画だもんねぇ。

「キャプテンハーロック -SPACE PIRATE CAPTAIN HARLOCK-」

「宇宙海賊キャプテン・ハーロック」の映画版。というかCGアニメ版。平成版。なんていえばいいのか、別もの版(ぇ) 以下に書いたんですが、映画「オデッセイ」で「宇宙海賊!」とか出てきたので、思わず連想しちゃって勢いでレンタルしました。

オリジナルストーリーです。
とはいえ、実は、もともとの「宇宙海賊キャプテン・ハーロック」をしっかりと鑑賞した記憶はありません。ただニヒルでかっこいいキャプテンという印象があっただけです。にもかかわらず、このハーロックはハーロックじゃない。と、思ってしまいました。
かっこいいんですけど。
なんというか、こんなに女々しくなかった気がするなぁとか。
元凶すぎるだろう!?とか。
まあ、いろいろ。
鑑賞後の感想としては、あれ?と思ったりなんかもしたんですが、映像は美しく、スペクタクルで、きれいで、ほんとに素晴らしかったです。

「オデッセイ」

邦題の「オデッセイ」って古代ギリシアの長編叙事詩「オデュッセイア」からきてるのかな。ギリシアの有名な古代叙事詩。んーと…トロイの木馬とかが出てくるトロイア戦争に参加して生き残ったオデュッセイアがなかなか故国と妻のもとへ帰還できずに彷徨いながらセイレーンに遭ったりなんだり冒険をするものがたり(かなりハショッたけど) それとはべつに「マーズ・オデッセイ」という火星探査機もあるし、有名な映画「2001年 宇宙の旅」の原題は「2001: A Space Odyssey」なので、オデッセイというタイトルはそこからきてるのかもしれない。どのみち漂流とか旅とかいう意味を含んでいるっぽい。
この映画の原題は「The Martian」 直訳だと「火星人」とか「火星の人」とか、原作の翻訳本タイトルは「火星の人」なんですね。
原作は知りません。

リドリー・スコット監督作品。マット・デイモン主演。NASAが全面的に協力しているのでミッションにかかる日数とか食料備蓄や装備など実にリアリティがあるけど近未来ファンタジー映画。火星有人探査が可能な時代のお話。火星にひとり取り残された男がいかに生き残ったかというお話。植物学者である自身の知識をフル活用としていかに水と食料を火星で得るかを考え実行し、次の探査チームが来るまで生き残ろうと画策します。
ふつうの人間ならパニックになってしまいそうな状況にも関わらず、ワトニー(マット・デイモン)は冷静沈着だしユーモアを忘れません。外傷を自分で治療し、日誌画像を記録し、計算し、工夫し、工作して、農地をつくりあげる。種はじゃがいも。肥料は有機廃棄物(排泄物) 水をつくるためには化学の応用。電気をつくるためのソーラーパネル。動力を得るための原子力活用。自分の生存に気づいてくれたNASAとの交信は一昔前のパソコン通信ちっくなメール。あとは静止画。意思の疎通のために使われるコード。
どれもそもそもの知識がなければできないことばかりですが、彼は宇宙飛行士なので一般人とはちがいます。宇宙飛行士はそもそもどんなアクシデントに遭遇しても動揺せずに行動できる人でなければなれないものなんでした。とはいえ、人間だから、実際にそういう状況になったら、不安になったり、叫んじゃったり、泣いちゃったり、家族への思慕を募らせリしてしまいそうですけど、このワトニーは家族に思い馳せたりはあまりしないし、ワトニーの家族が取り乱したりするシーンもいっさいありませんでした。
そこがよかったです。
愁嘆場はない。ただ一人の男が明るく前向きにがんばるお話。
失敗をおそれず、失敗してもしっかりリカバリーする。

関係ないけど、ワトニーが「宇宙海賊!」とかいってヒャッハーする場面があるんですが(笑) そこでキャプテン・ハーロックを思い出してしまったので、この映画をみたあとハーロックをレンタルしてしまいましたよ。

以下、ちょっとネタバレ。

そんなわけでとても楽しい映画でした。悲壮にならず、ラストで助かることが約束されているお話だからこそ、安心して鑑賞することができる。同時に、NASAの特製テープと特製防水シートの威力におののきます。
あとクライマックスで救いの手をさしのべてくれる中国(!)
あの中国が助けてくれるなんて…!という意外性と、あの中国でさえ助けたくなる事案だということなのでしょう(原作でも救いの手は中国からさしのべられるそうですよ) 世界中の人たちが見守るなか中継される救出作戦。
いかにもハリウッドちっくですが、盛り上がります。

謎に感じたのは、
火星の重力ってどうなんだっけ?ということだったんですが、重力は再現してないようです(実際は地球の40%くらいの重力なので再現しようとしたらフワフワになる) 宇宙服が破損しても、気圧調整ができなくなっても生存不可能。火星の大気のほとんどが二酸化炭素。地球と同じく季節があるので、場所によって気温や季節によって地表の様相に変化がある。大気が薄いので地表の温度は高くても20℃なので、たいていは氷点下。強烈な砂嵐がある。
火星の不毛な大地をみると、地球の瑞々しさに感謝したくなります。

今月はなんか忙しいので

風邪ひいてる場合じゃないです(!)というのに風邪ひくと喘息が悪化するので咳が出てしょうがありません。コン○ック咳止めでなんとかしようかと思ったんですが、あれ飲むと頭がぼやんとしてしまうのと、この咳が肺病かなんかだと困るので、一応、呼吸器内科で診てもらったんですけど、結局、肺機能もレントゲン画像も異常なしなので、たんなるアレルギー性の喘息みたいです。
まだ結果でてないけど、私にアレルギーがないわけがない(自信あるよ) むしろ今更アレルギー検査とかしなくてもよかったんですけどね…(なんか流れで検査することになってた。ものすごいお金かかった…) 薬が処方されて、それ服用してます。抗生物質は飲み終わった。いまは頓服として「フスコデ」 「ムコダイン」は去痰剤。そして朝夕にステロイド+気管支拡張剤の混合吸入薬。最初は効いてない感じがしたけど、きれたときにぶり返すので、たしかに効いているんだなと。
つか、むしろ、やめられない… 発作、こわい。めっちゃ苦しいから。
依存性ってコレかぁとか思ってるところです。
夏風邪のあと一ヶ月続いたから、今回は花粉もあることだし、しばらく続いちゃうかな。
吸入とか。
なんかヤク中な気持ち(笑
でも夜は眠りたい。だから今夜もフスコデは飲む。

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